2013年5月30日木曜日

19世紀後半期プロイセンにおける学生・生徒の自殺原因

 週に一度,国会図書館通いをして,昔の教員の危機や困難に関する資料を収集しています。昨日は,明治中期の『教育時論』をくくってきました。戦前期のメジャーな教育雑誌です。

 同誌の1890(明治23)年12月15日号に,「学校生徒自殺の原因」と題する短文が載っています。しかるに,わが国のものではありません。載っているのは,遠い西洋のプロイセンの自殺統計です。

 それによると,1883~1888年の6年間に同国で自殺した学生・生徒数は,小学校で209人,高等学校で80人であったとのこと。高等学校とは,当時の日本でいう「高等中学校,尋常中学校,高等女学校等」に類する学校だそうです。

 デュルケムが名著『自殺論』を刊行したのは1897年ですが,これより少し前の隣国プロイセンにおける,学生・生徒の自殺原因とは,どういうものだったのでしょう。


 小学校では「懲罰」への恐れ,高等学校では「試験の恐怖・落第」という原因が最も多くなっています。小学生の自殺の3分の1が,「懲罰」を恐れてのことだったとは・・・。

 ここでいう「懲罰」とは,おそらく体罰でしょう。中世のヨーロッパでは体罰は教育上の手段としてはっきりと容認され,近代化以降も,そうした流れが続いたといわれます。私が最近見入っている「トムソーヤの冒険」(19世紀前半,米国)でも,鞭打ちの体罰が頻繁に出てきます。他にも,過酷な体罰がなされていたのでしょう。子どもをして,死へと赴かせるまでに。

 ひるがえって,同じ頃の日本では,子どもの自殺原因はどういうものだったのでしょう。戦前の日本の学校ですさまじい体罰がなされていたことは,3月30日の記事でみた通りです。もしかすると,上記プロイセンと同じような原因構造だったりして。

 今年の初頭に,大阪の高校で体罰自殺事件が起きましたが,問題は通底しているのだな,という感じを持ちます。